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コメント: 9
  • #1

    森田周藏 (木曜日, 02 10月 2014 11:09)

    中原さえ子さま たゆまぬ挑戦。敬服の極みです。上質の鳥獣図鑑お届けしたいと思います。10月10、11、13日のいずれか。①ランチ付は12時、藤ヶ丘駅北改札口。②ティーであれば3時前後に青葉台駅改札口で。(人の少ない10日がベスト)③都合付かなければユックリと次回に。以上選択下さい。

  • #2

    中原さえ子 (月曜日, 06 10月 2014 14:14)

    森田様
    ご連絡ありがとうございます!お返事が大変遅れてしまいすみませんでした。台風は大丈夫でしたか?鳥獣図鑑の件とても楽しみにしております。ご都合が今でもよろしければ10月10日②のお茶で如何でしょうか?

  • #3

    森田周藏 (火曜日, 07 10月 2014 01:14)

    10月10日②で了解です。3時に必ずお持ちします。

  • #4

    中原さえ子 (火曜日, 07 10月 2014 19:56)

    お返事ありがとうございます。楽しみにしております!

  • #5

    ロシアン・ルーレット (水曜日, 12 11月 2014 12:11)

    saeko's animal達は何を見つめ、何を考えてたたずむのだろうか?考え、考える。

    例えば、描かれたライオンとトラ。ライオンとトラはどちらもネコ科動物で、ガ体はホボ同等。毛皮を剥ぎ取ると解剖学の専門家でない限り見分けは難しい。ところが、心理面から観察すると大きな違いがある。ライオンは生まれ付いての大怠け者。食い物さえ十分にあれば、怠惰な生活をいとも簡単に受け入れ、幾らでもうたた寝にふける。しかし、トラはそうは行かない。どんなにたらふく食べさせても駄目なものは駄目。トラの脳は求めるものがライオンよりはるかに多く、無為を嫌い長時間くつろぐ事を許さない。動物園の檻を見ると直ぐに分かる。ライオンはゴロリと横たわり、トラはウロウロと歩き回っている。英国の然る園長は飼育観察の中からこの違いを見出し、園内の動物を2種類に分けた。
    一つは「neophobic」。新たなチャレンジを嫌う、新しいもの嫌い。、保守的で生存条件が満たされれば環境をやすやすと受け入れ安穏と飼育されてしまい、ライオンやワシ、ヘビ、アリクイ等、ほとんどの動物がこの中に属する。特に捕食にスペシャリスト的な構造を持つ動物は此処に属し、餌と暖かな寝床を与えさえすれば飼っている方が恥ずかしくなるほど子供をどんどん産み増やすそうだ。
    一方は「neophilic」。トラや狼、サル、類人猿種などが属し、気難しく、むら気でノイローゼに罹らないよう配慮して飼育する事が必要で、環境の中で新しく自分に有利になるモノは無いかと気を配り、あくせくと動き回る。そして、何が起ころうとも其の機会を活用する事も抜かりない、新しもの好きなオポチュニスト動物である。

    ヒトは典型的な「neophilic」。チャレンジを好み、新しいもの、ヒトと違うもの求めろ。無理をし、背伸びをするのが好きだ。刺激を求め、あえて我が身を危険にさらす。トーシューズを履いて踊ってみせ、香水はより刺激的にコミックやカリカルチュアではより極限めざす。挙句の果てにはロシアンルーレットまで遣って退ける。

    動物は何を考え、何を見つめ佇み。そして、いくのであろうか。




  • #6

    十帖賢木  (水曜日, 19 11月 2014 11:55)


      「 おほかたの 秋の別れもかなしきに 鳴く音添へそ 野辺の松虫 」

  • #7

    尾利野 獅子 (水曜日, 26 11月 2014 19:10)

     当たり前のことだが、あらためて考えてみると「見ること」は言葉より先に始まることに気が付いた。人はしゃべれるようになる前に見、それから認識し、言葉にする。「見ること」が言葉より先に始まるということは、この世において自己の位置付けを決めるものは「見ること」に他ならないのではないだろうか。
    しかし、そうでありながらも一方では、見ているモノと知っているモノとの間の関係はいつも不安定のように感じられて仕方がない。この事は多分に其の対称と関わる人によるのかも知れないが、例えばライオン。多くの人は檻の中や、他人を介して撮られた画像でライオンを見て知っているし、知識としてアフリカのサバンナの中で生息していることも知っている。しかしながらよくよく考えてみると、其の知識や説明としての言葉が、本当にライオンが生息している光景と完全に一致しているわけでわない。甚だ曖昧であり、常に不安が付きまとうものである。この様な体験は誰もがあるはずである。私達の生活は様々な現象の中で、言葉と見る事の間には常にギャップが存在しているものである。そして、このギャップの多くは不安が付きまとうが故に、他の人との視覚世界を案外と容易く共有させている原因になっている。
    このギャップを正しく認識してモノを見ることが出来れば、あらゆる表現を広げる可能性を持つ「夢のギャップ」にはならないだろうかと思うのだが。

  • #8

    早坂 (水曜日, 07 3月 2018 22:56)

    Instagramの写真削除してください

  • #9

    早坂 (木曜日, 12 4月 2018 22:02)

    シカトせず、早く写真の削除してください

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